探しものは何ですか?

こんにちは!僕です。


この8月は実家(築55年!)の処分で家財をアレコレ整理してまして。


そしたらまぁ、いろんな年代の写真が発掘されます。

親が若い頃の写真とか、僕が子供の頃とか。


と、まあ、懐かしい話し系に行くと見せかけて!

違う、そうじゃない。(C)鈴木雅之


たとえば現代。


SNSへアップするためにスマートフォンで撮る写真には

どんな些細な内容でさえも、撮影者の強い意志を感じる。

これは本人にその気が無くても、すでに表現してしまっているのだ。

だ!っての。


かたや、今を遡ること30年近く前の僕。


実家での暮らしぶりを撮った写真とか。

退屈なひとり旅をして撮った写真とか。

散歩道で壊れかかった家を撮った写真とか。

そのほか意味不明な写真の数々。


そういうのを見ていて、これはナンだろうなと思うわけです。

(カレーと食べるやつじゃなくて)


当時、写真活動なんて全然やってなくて。

入学祝いで買ったフツーのコンパクトカメラを使用。

「乾杯」っていう名前のカメラだった。昭和感満載。

いや、いちおう平成だったけど。


そのカメラが車上荒らしで盗まれてからは

写真撮るか〜・・・っていう時は、

1、2枚撮りたいだけでもカメラ屋とか売店を探して

「写ルンです」をいちいち買っていたわけです。


まだケータイもスマホもデジカメも無かった時代。

言い換えれば<写真を撮るのにちょっと手間がかかる>時代に

さらにそんなメンドクサイことをしてまで撮っていたのに、

記憶からスッポリ消え去っていた軽い存在のそれら。



見つかった写真は駅前のマツヤカメラの袋に入ったまま

ポケットアルバムにプリントを入れもせず、

現像して1度見ただけのような感じで、

本棚やら仏壇やら荷物の隙間に突っ込んであったわけです。


自分が見返すためでもなく撮っていた写真たち。

これは一体何のつもりだったのか?(さっきのナンはここ!)


もしかして、もうその時、僕は目の前の風景を光景として見ていたのか?

いや、目的無く写真を撮っていても、

そのコト自体がすでに表現行為になっちゃうのでしょうか?


あー、あー、でもとにかくそういうのが、

写真って感じと思いませんかぁー、うふっふー。

うふっふー。

うふっふー。

さーあー。


(ギャラリー・アビィ/吹雪大樹)